お清めの塩

2024.10

近年ではお清めの塩を見かけなくなりました。一体なぜでしょう。

一昔前までは通夜や葬儀の時に、会葬御礼の挨拶状とともに小さな袋に詰められたお清め塩が配られることが多かったと思います。これは、死を「不浄のもの」と考え、体に塩をふりかけることでけがれを払い、身を清めるために使っていたからです。
『清めの塩』とは、実はもともと神道の考え方によるもので、一般的に死を穢れとして捉えています。諸説ありますが、穢れとは「気が枯れる」状態で、生きる力が衰えていることを指し、気が完全に枯れてしまうのが死という考えです。昔は医学の知識も乏しく衛生面においても現代のように上下水道も無かった時代です。そうした背景もあって人々の中に「お清め」という行為が信じられたと言われています。また、葬儀や火葬に行くと穢れを自宅に持ち込まないという考えから清めの塩を用いていました。

現在では会葬に出かけていって、清めの塩がついていなかったことがほとんどではないでしょうか。仏教では生と死をひとつの世界として捉えているため「死」はけがれたものではないとしています。「本来の宗旨」を考え、「お清めの塩」を使わないお葬式に変わってきているのです。浄土真宗が最初に清め塩に反対し、その後他の宗派も賛同するようになったのがきっかけです。とくに『浄土真宗』『真宗』では「誰でも浄土に行くことができる」という教えなので、清めるという行為は正しくないとされ、塩を用いることはありません。

お清めをするかどうかは、気持ちや信条によるものですので、近年の主張に関わらず自分自身で決めてかまいません。どうしても必要な場合は葬儀社に清めの塩の準備があるか確認してみるとよいでしょう。