「コロナ禍」にて思う事

広島県内の新型コロナウイルス感染者がゼロになりました。
3月6日に県内で初めての感染者が確認されてから3カ月。5月4日以降は新たな感染者の確認はされていませんでしたが、6月14日、当初から無症状だった方が観察期間を終え、医療機関を無事退院し、県内の感染者はゼロとなりました。

しかしまだまだ、安心して元の通りの生活ができるわけではありません。

そんな中、4月中旬に、広島市の障害者施設でおこったクラスターに関する記事が目を引きました。
6月初めにクラスターは収束し、通常生活に戻っても大丈夫、と医師や行政にも認められながらも、「あんな体験をしたら慎重にならざるを得ない」と、自粛生活を続けているそうです。陽性者が確認されてから全員が陰性になるまでの52日間の壮絶さがうかがえます。入所者の中には、環境の変化に耐えられない方もあるため、簡単に入院ができず園内にとどまるという選択。職員の方々も全員が自宅に戻らず、陰性者が陰性の、陽性者が陽性の入所者の方のお世話を・・・「心の機微がわかる私たちがケアをするしかない」という覚悟で臨まれた日々。そして、鳴りやまない電話の対応。クラスターが起きたことに対して大声で怒鳴る人、無言電話。深夜にも鳴り響く電話に、「真摯に向き合わなければ、不安にさせてしまったのだから」と、受話器を握り続ける職員の方々。頭が下がるばかりです。

また高知市では、ある保育園の話題が、学校の授業で取り上げられているそうです。
職員に陽性者が出た保育園の園長が、重い足取りで園に着くと門の前に張り紙が・・・クレームだと覚悟した目に入ってきたのは、「がんばれ○○○ほいくえん」とうい横断幕。子供が書いたような文字でした。いまだに送り主は不明とか・・・

その時の園長先生の気持ちを想像すると、こちらまで元気がいただける気がします。

言葉や文字には力があります。
その力はどちらにも変化します。
人を感動させ、励まし、支え前に進む力を生みます。
人を失望させ、傷つけ、追い込み立ち止まらせてしまいます。

五十音には1行だけ○が付きます。
ぱぴぷぺぽ
言葉という音に○をつけると人を傷つける音から遠ざかる気がします。
皆さんが街中で聞く ピーポーピーポー ドキッとします。
濁点は人を驚かせたり、傷つける気がします。

救急車の音は、聞くとドキッとしますが、人を助けている最中の音なんです。
今近くにいる方に、「協力してください。助けたい人がいるんです。」
と言っているんです。
ピーポーピーポー people people 人々 人々

音で変化しました。
金八先生が言いました
「君たちいいですか〜。人という字はねぇ、ひとりの「人」がもうひとりの「人」を支えている字なんです。つまり、人と人が支え合っているから人なんです。人は人によって支えられ、人の間で人間として磨かれていくんです。」
支える人はたまったものじゃないなど論争もでたこともありましたが、「生きるとはいうのは人になにかをもらうこと。生きていくというのはそれを返していくこと。」
私たちはたくさんの人に支えられ、与えられて生きているということに感謝しなければなりません。

とりとめのない文章になりましたが、最後に皆さん慮(おもんばか)って生きましょう。